二宮忠八とライト兄弟の飛行機の違いは何だったのか

ライト兄弟といえば言わずと知れた、人類史上初めての有人飛行に成功した偉人。

しかし、それよりも12年早く飛行実験に成功していた日本人がいます。

彼の飛行機とライト兄弟の飛行機は何が違うのか?

そして、なぜ彼の功績は正当に評価されなかったのか?

調べてみました。

二宮 忠八(にのみや ちゅうはち)

引用:blog.livedoor.jp
生まれ 慶応2年6月9日(1866年7月20日)
没年 1936年(昭和11年)4月8日(享年69歳)
出身地 伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(愛媛県八幡浜市矢野町)
父親 二宮幸蔵
母親 二宮きた

飛行実験成功までの道のり

二宮忠八は、裕福な商家の四男坊として生まれました。

しかし、2人の兄が放蕩生活で散在したうえに、親が事業に失敗、そして二宮忠八が12歳の時に父幸蔵が亡くなり家計が一気に困窮します。

二宮忠八は父の死後、生きるために働かざるを得なくなりますが、そのかたわら、物理学や化学の書物を夜遅くまで読み耽けっていたといいます。

また、凧揚げが好きで、どんな凧が良くあがるのかも研究していたそうです。

二宮忠八が考案して作った凧はどんな凧よりよくあがり「忠八凧」と呼ばれて評判でした。

引用:blog.livedoor.jp

そして、その凧を作って売ることで学資を自ら稼いでいたといいます。

気球を付けた凧を作ったこともあったそうですから、このころから空への憧れのようなものがあったのですね。

飛行機への発想を得たのは、20歳のときに徴兵され、歩兵隊に入隊したころだといいます。

昼ご飯を食べているときに何気なく空を見上げると、カラスが飛んでいるのが目に入り、そのカラスは飛んでいるのに羽ばたいていないことに気づきます。

なぜだろう?

そして、カラスは翼で風を受けとめることで、空を飛んでいるのではないかと忠八は考えたそうです。

「仰角度ある翼面に大気を圧して向上せんとする線aとカラス自体の重量が絶えず降下せんとする垂下線bとの和、即ち両線の平行方形の対角線cに向かって水平に進むものたるを発見したり。」

これは飛行機がなぜ飛ぶのかの説明でよく使われる、「揚力」の発見です。

これまでも「空を飛ぶ」という研究を重ねてきた科学者は多数いましたが、いずれも「鳥のように翼をはばたかせる」という固定概念から抜け出せずにいた現状から大きく前進した瞬間でもあります。

カラスが空を飛んでいるところなんて誰でも日常的に見ている光景から新たな発見をして、斬新な発想を得るというところが素晴らしいですね。

そして、忠八はこの発想を基にして「カラス型飛行器」を作ります。

引用:nlab.itmedia.co.jp.kpg

主翼は単葉で上反角を持ち、翼幅は45cm。全長は35cm。機尾に水平尾翼、機首に垂直安定板がある。

三輪を備え、ゴムひもで駆動される推進式の四枚羽プロペラが推進力であった。

 

そして、明治24年(1891年)4月29日

3mの自力滑走の後、離陸して10mを飛行させることに成功しました。

翌日にはその距離を36mまで伸ばします。

日本初のプロペラ飛行実験の成功である。

1903年12月17日に、ライト兄弟がライトフライヤー号の飛行に成功する12年前の出来事であった。

二宮忠八、このとき25歳でした。

 

玉虫型飛行器

2年後の明治26年(1893年)10月には有人飛行を前提にした飛行機「玉虫型飛行器」の縮小模型(翼幅2m)を作成。

引用:yrekitan.exblog.jp

これは無尾翼の複葉機で、下の翼(上の翼に比べると小さい)は可動であり操縦翼面として働く設計でした。

明治時代の玉虫型飛行器 再現RC機

 

開発中断・再開、そして断念

その後、資金面の問題で開発が中断。

大日本製薬に入社後、支社長になり、ようやく資金的な目処が立ち研究を再開します。

オートバイのエンジンを利用するなど試行錯誤を重ねます。

必要な馬力は12馬力を出す事が必要だと計算し、玉虫型飛行器も大型に改良され、あとは動力の問題だけで本格的な有人による動力飛行は目の前まで来ていたといいます。

ところが、

「アメリカのライト兄弟が人類初の有人飛行によって大空を征服した」

との記事が新聞に掲載されます。

引用:blog.yahoo.co.jp

皮肉にも、ライト兄弟のライトフライヤー号は二宮が作っていたエンジンと同じ12馬力のエンジンを積んでいました。

動力飛行には12馬力が必要だとする計算は間違っていなかったのです。

二宮は涙を流しながら長年コツコツ作り上げてきた飛行機を自ら叩き壊し、開発を断念します。

その後は製薬の仕事に専念したそうです。

 

なぜ二宮忠八は評価されなかったのか

この時代の飛行機発明競争は世界中で行われていました。

ライト兄弟と初飛行を争ったラングレー教授

フランスではライト兄弟より前に動力飛行に成功したとされるクレマン・アデール

 

その中で、ライト兄弟が「世界初」と評価されるのは、3000回以上の滑空や風洞などを使った科学的な実験結果に基づいての成功だったこと。

そして、何よりもその証拠をビデオで残していたこと。

一方、二宮忠八の研究は、飛行理論の正しさは証明されたものの、金銭的事情で研究が進展せず、研究の過程や計画が明確な位置付けがまだできず、海外の研究者の着目が少ないようです。

惜しむらくは、二宮忠八も個人の研究開発には資金面で無理があることがわかっていて、軍に飛行器の有効性と開発計画をレポートにまとめ、軍でこの研究を進めることを望んでいました。

しかし、残念ながら「戦時中である」ことを理由にこの研究に軍が興味を示すことはありませんでした。

飛行機が戦場で果たす役割の大きさは言うまでもなく、この時代の日本軍がそこに気が付かなかったのが残念でなりません。

軍の支援を受けていれば、本当にライト兄弟より先に有人動力飛行に世界で初めて成功したのは二宮忠八だった可能性は高いと思います。

 

二宮忠八飛行館

日本の航空機の父「二宮忠八」が飛行原理を着想した土地、香川県まんのう町に「二宮忠八飛行館」ができました。

開館時間 午前10時~午後4時
休館日 水曜日、木曜日/ 12月29日~1月6日
入場料 一般:300円 小人:150円
小人は高校生まで
団体入場料 一般:200円 小人:100円
団体は20名以上
TEL 0877-75-2000

〒769-0319 香川県仲多度郡まんのう町追上358-1


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