山縣亮太10秒00・ロケットスタートで9秒台を目指すイケメンスプリンター

2017年9月24日
「全日本実業団対抗陸上選手権」

 男子100メートル決勝が行われ、山県亮太(25)=セイコーホールディングス=が自己ベストを0秒03更新する10秒00(追い風0・5メートル)で優勝しました。

伊東浩司氏(現日本陸上競技連盟強化委員長)が98年バンコク・アジア大会で出した10秒00と並ぶ日本歴代2位タイ。


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7月30日の「情熱大陸」に陸上選手の山縣亮太選手が出演されます。

リオオリンピックで、歓喜の銀メダルから約1年。

故障で世界陸上の代表を逃してしまった山縣選手の、東京オリンピックに向けての再起が楽しみです。

山縣 亮太(やまがた りょうた)

出典:www.seiko.co.jp
生年月日 1992年6月10日(2017年7月現在、25歳)
出身地 広島県広島市西区
中学校 修道中学校
高校 修道高等学校
大学 慶應義塾大学総合政策学部卒業
身長 177cm
体重 70kg
専門 短距離走
所属 セイコーホールディングス所属

主な成績

リオデジャネイロオリンピック 100m 準決勝11位
4x100mR 銀メダル
世界選手権 100m 予選22位 (2013年)
アジア大会 100m 6位 (2014年)
4x100mR 2位 (2014年)
日本選手権 100m 優勝 (2013年)
200m 6位 (2011年)

自己ベスト

100m 10秒03(追風 0.5m) 日本歴代4位タイ

2016年9月25日 全日本実業団陸上

200m 20秒41 (向風 0.5m) 日本歴代11位

2013年5月26日 関東インカレ

 

生い立ち~リオ五輪

山縣家は祖父の代まで広島市中島町の現在の原爆資料館(広島平和記念公園)そばにあり、原子爆弾投下で曾祖父は即死。

祖父は疎開していたため難を逃れたが、直後に広島市内に入って被爆した。

山縣亮太選手は、被爆3世ということになります。

子供の頃からスポーツ少年だった山縣選手。

当時の将来の夢は、プロ野球選手。

やはり地元のカープが憧れだったのでしょうか?

 

小学4年から為末大が所属していた陸上クラブで本格的に陸上を始めてからは、メキメキと頭角を現し、5年生のときには全国大会に出場し、100mで8位に入賞しています。

 

中学高校は、中高一貫の男子校「修道中学校・修道高校」

1725年(享保10年)創立。なんと、約290年もの歴史を有する名門校です。
吉川晃司さんなど、多くの有名人を輩出しています。

中高一貫の男子校ですから、バンカラな校風のようですが、学力も非常に高いようです。

ネット情報では、

修道中学校の偏差値は67
(出典:http://momotaro9.boy.jp/indexhirosimakenn.html)

修道高校の偏差値は70
(出典:https://www.minkou.jp/hischool/school/2320/)

2016年度は、東大7名、京大5名、阪大5名、九大10名、広大26名をはじめとする国公立大学に143名、私立大学は、早慶49名が合格しています。

山縣選手も慶応ですね。

慶応はスポーツ推薦でも(表向きはスポーツ推薦はないが、実質的にはある)、ある程度の学力がないと入学できませんので、学力も優秀なのでしょう。

イケメン、足が速い、そして学業優秀。

天はいったい何物を与えたのかというくらいに、モテる要素満載です。

ある意味、男子校に進んだのは正解で、共学だったらとんでもなことになってましたね。

 

修道中時代は100mと400メートルリレーで全日本中学選手権(全中)に出場しています。

修道高校1年生の時に、大分国体少年B100mで優勝。

修道高校2年生の時には、世界ユース陸上競技選手権大会の100mで4位入賞。

メドレーリレーでは銅メダルを獲得しています。

 

そして、高校3年生のときに、大学進学に際しては、思ったことは

「慶應競走部の自由な競技環境だったら自分のやりたいことができる」

 

そう、「いいコーチがいるから」、ではなく「自分のやりたいことができる」からです。

山縣選手は特定のコーチをつけることなく、自分で工夫をしてトレーニングをするタイプの選手なのです。

 

慶応大学時代

総合政策学部のAO入試(後期)を経て、慶應義塾大学総合政策学部に入学しました。

大学入学後の活躍は目覚ましいもので、一気に日本を代表するスプリンターへと成長します。

 

大学1年生

山口国体男子100mにおいて10秒23(+1.8)の日本ジュニア記録で、3位入賞。

 

大学2年生

織田記念陸上男子100m予選で、10秒08(+2.0)をマークし同年のロンドン五輪A標準記録を突破。

そして、ロンドンオリンピック短距離日本代表に選出されたのです。

大学2年生の代表選出に、当時も大きな話題となりました。

 

ロンドンオリンピックでは、

予選 自己記録を更新する10秒07(+1.3)の6組2位となり、準決勝進出。

準決勝 10秒10の3組6位で、決勝進出はなりませんでした。

4×100mリレーのメンバーとして、決勝進出を果たし、決勝では38秒35で4位入賞を果たしました。

 

このころを振りかえると走るたびに成長していくような時代でした。

山縣選手自身も、いいタイムが出たときに「なんでこのタイムが出たのかわからない」とコメントすることもありました。

 

大学3年生

ハムストリングを故障して、一進一退の苦しい時期でした

しかし、日本選手権初優勝とともに、モスクワ世界選手権の代表入りを決めました。

初出場となった世界選手権では、故障が再発し予選敗退。

 

大学4年生

前半は腰痛で出遅れ、日本選手権・男子100m決勝では10秒27の2位。

アジア大会で負った左股関節の怪我もあり、満足に走れないシーズンではあったが、国体の100mで優勝を果たします。

 

社会人時代

セイコーホールディングスに入社。

陸上競技部はないが、アスリート支援の第1号選手として山縣選手が契約しました。

このシーズンも腰痛に苦しみ、世界選手権出場を逃します。

それでも、リオデジャネイロオリンピックの参加標準記録(10秒16)を突破。

 

日本選手権では、ケンブリッジ飛鳥に100分の1秒差で敗れたものの、リオデジャネイロオリンピック男子100m日本代表に選出されました。

リオデジャネイロオリンピック男子100m

予選 10秒20(-1.3)で、8組2着となり準決勝に進出。
準決勝 自己ベストを更新する10秒05(+0.2)を叩きだすが、決勝進出を逃しました。

そして、男子4×100mリレーでは日本チーム(山縣亮太-飯塚翔太-桐生祥秀-ケンブリッジ飛鳥)の一走を務め、アジア記録を大幅に更新する37秒60で銀メダルを獲得しました。


※リンク切れの場合は、こちらから

 

リオ五輪後

世界主権を次の目標としていた山縣選手ですが、日本選手権で10秒39の6位に終わり、世界選手権の出場権を逃しました。

※リンク切れの場合は、こちらから

 

実は、山縣選手は、右足首の痛みがあったようです。

ここ数年は、毎年のように故障に悩まされている山縣選手。

東京オリンピックを見据えては、まずは故障のない、しっかりとトレーニングを積むことが出来る状態にすることが大きな課題のようです。

世界を見ても、五輪後は記録が下がり気味だという傾向がある。

彼らはメダリストということで、ある一定のところまで戦い、本来なら当然、結果が落ちる時期だが、桐生くんも山縣くんも(好調を)維持しつつ、レースに出続けていた。

正直、(日本選手権の結果は)残念なところはあるが、世界を見ても、タイソン・ゲイ選手が全米選手権で予選落ちしていることもあり、五輪翌年というのを痛感している。

(伊東強化委員長談)

 

山縣選手のロケットスタート

山縣選手の武器といえば、「ロケットスタート」

スターとの技術の高さは大学時代から定評があり、どんなレースでもスタート直後は一歩リードをしています。

山縣選手は、自分のスタート技術について次のように語ります。

自分は、スタート時の目線が他の人よりも前を向いている。

一般的には、下を向いている選手が多いが、

スタートで前を向くと、背中が伸びる。

そうすると、スターティングブロックをロスなく効率よく蹴ることができる。

イメージとしては、自分の前に目標があって、それに向かってパッと手を伸ばすイメージ。

また、スタート直前には、頭を前に出して、視界に他の選手を入れないようにしている。

スタート直前に、頭をあげて前を見るのは非常に苦しい姿勢になりますが、「用意」から「バン」までのスタート直前の、山縣選手の姿勢は他の選手と比べて明らかに違います。

そして、このスタート技術で

0.1秒が限界とされるリアクションタイムで、山縣選手は0.11秒なのです。

山縣選手・スタートの極意

 

しかし、2012年3月に行われた日本陸上競技連盟の合宿で、その山縣選手の得意とする「スタート」が伸び悩みの原因であることを、朝原宣治さんから告げられます。


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