羽田元首相死去【息子も父も政治家の華麗なる一族】

日本の政治家として一時代を築いた大物がまた一人、この世を去りました。

羽田孜元首相が28日午前7時6分、老衰のため、東京都内の自宅で死去した。

82歳だった。東京都出身。政治改革の実現を唱えて自民党を離党し、1994年に非自民連立政権で首相を担ったが、在職日数は現行憲法下で最短の64日間だった。葬儀・告別式は9月8日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。

(出典:時事通信社)

短命内閣の元首相として有名な羽田元首相ですが、順風満帆なエリート街道を歩んだのではなく、様々な失敗を繰り返しながら日本のトップに登り詰めました。

また、羽田元首相のご家族がすごいのです。

どんなご家族なのかも合わせて振り返ってみましょう。

 

羽田 孜(はた つとむ)

出典:wikipedia
生年月日 1935年(昭和10年)8月24日
没年月日 2017年(平成29年)8月28日
出身地 東京府東京市蒲田区(現東京都大田区)
中学校 上田第二中学校
高校 成城学園高等学校
大学 成城大学経済学部

名付け親は、父の東北帝国大学時代の恩師・阿部次郎氏。

「孜孜(しし)として働く」から取ったそうです。

ちなみに、「孜孜」とは

熱心に励むさま
(出典:大辞林)

日本のために一生懸命働くんだぞという願いが込められていたのですね。

そんな羽田元首相は、大学3年生の時に、ハンガリー動乱で亡命してきた学生をかくまったことがあるという正義感の強い青年だったようです。

 

羽田元首相の家族がすごい

元首相というだけでご本人が十分にすごいのですが、ご家族が負けず劣らずスゴイ。

こちらが家系図ですが、政治家、実業家、著名人や名士がズラリと並びます。

 

羽田元首相の父親

羽田 武嗣郎(はた ぶしろう)

出典:wikipedia
生年月日 1903年(明治36年)4月28日
出生地 長野県小県郡和田村
没年月日 1979年(昭和54年)8月8日(満76歳没)
出身校 東北帝国大学
前職 鉄道大臣秘書官

戦前の1937年、立憲政友会より衆議院議員総選挙に立候補し、初当選を果たします。

戦後、日本進歩党の結成に参加しましたが、翼賛議員だったことが原因で1946年に公職追放になってしまいます。

その6年後、1952年に追放解除となり政界に復帰を果たし、以降1969年の引退まで7回にわたって当選。

戦前を含めて、9回当選し、通算26年に渡って衆議院議員を務めました。

最後の当選となった1967年の総選挙は、1963年に発症した脳出血の後遺症に苦しみながらの当選でした。

しかし、体調が回復せず1969年に政界を引退。
1979年8月8日、76歳にて死去。

 

羽田元首相の奥さん

羽田綏子

出典:www.r-ms.org

祖父の津下紋太郎氏は、日本製鉄、日本石油の専務、カルピス製造会長などを務めた、明治生まれの実業家。

そして、その津下紋太郎氏の子である父・津下綱平は、日本ゴム工業(現・オカモト)取締役、カルピス食品工業取締役。

さらに、成城学園理事も務め、藍綬褒章、勲三等瑞宝章も授与されているという名士です。

ひと言で言って「御令嬢」ですね。

 

羽田元首相の長男

羽田雄一郎

出典:www.y-hata.jp

参議院議員(民進党)

生年月日 1967年7月29日(2017年8月現在、50歳)
出身地 東京都世田谷区
中学校 成城学園中学校
高校 敬和学園高等学校
大学 玉川大学文学部芸術学科卒業

1999年10月 参議院長野県選挙区補欠選挙に、父・羽田孜が所属する民主党公認で出馬し、初当選。

2012年6月4日~12月26日 野田第2次改造内閣において、国土交通大臣に就任。

現在も参議議員の4期目を務めています。

 

羽田元首相の次男

羽田次郎

出典:www.linkedin.com

2011年(平成23年)世田谷区議会議員選挙に民主党公認で立候補し、落選。

政界入りを目指して活動中です。

 

羽田元首相の祖父

羽田貞義

師範学校を卒業した教育者で、群馬、熊本、千葉、福島の各師範学校の校長を歴任しました。

 

神津藤平(こうづとうへい)

長野電鉄の創立者にして元社長。

長野県議会議員も務め、志賀高原の観光開発に尽力した名士です。

神津藤平の娘婿が羽田孜の父・羽田武嗣郎氏。


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